鬱と診断された際のスピリチュアルな体験

自分はこのブログを初めるにあたり、

初めての方への項目で、 私はスピリチュアリストだとあえて明言して、

始めさせて頂いておりますが、

実は鬱と診断された際にはスピリチュアルな不思議な現象がありました。

こちらの記事は、その内容をメインに記載させて頂きます。

※見る方により、ただの妄想に感じ不快に感じるかもしれません。

  また、感じる方によっては良くない波動を受け、影響を受ける可能性もあるかもしれません。

  此処から先は、自己判断でお読みいただきますよう、よろしくお願い致します。

大汝牟遅之尊様はご存知でしょうか?

幾多の名を持ち、活躍され、今もなお多くの者の命を執持(とりもち)、

守りながらも、快活な笑いと粋(息:域)により、場をお守りいただいている神様なのですが、

この方の数々の名は、役割と働きを示しているに過ぎず、

それゆえに多大なる方だということが、わかる方はお分かりになるかと思います。

大汝牟遅之尊様の名は、字のごとく、オオナンジ。

大きい汝(爾)の尊と示され、

小さい我々は、小汝(爾)に当たります。

全ての、小さな汝がまとまったところが、大汝の域ゆえ、

その視野も広く、智慧も広く、場を厚く賜るのも頷けます。

私はそんな、大汝牟遅之尊様と御縁があるのですが、

今回の流れは、その大きな流れの一部と総持(相似)していました。

※時折、()で別の言葉を書くのは別の意味も含まれているためです。ご了承ください。

 

 

それまでは、バタバタしつつも、色々な不安は悩み事を持ちつつも、

走りきっていたあの当時。時は夏祭り。

素敵な浴衣を着て、街の夏祭りに家族で出かけ、美味しいものを食べながら、

ご一緒したいという男性のかたと語らい、帰宅した夜から物事は始まります。

 

とても楽しいひと時でした。

明日から、また頑張ろう!

そう思える夜でした。

ですが、その帰り道・・・

その男性の方にキスをされてしまい・・

それはそれで、びっくりしましたが気にしていなかったのですが、

ソコからなにかおかしくなりました(苦笑)

※思えば私は、その後もその方と出会うと、体調を崩します。

 その方の持っている何かを受けてしまうようです。

 後ほど聞くと、誰にも伝えていないけれど精神病持ちで病気もこれだけあると

 事実をご本人からお聞きしました。その上で付き合うかどうかを考えてほしいと・・。

 薬の数も山ほど。

 その人は私と会っていく中で、なにか元気になるようで、

 薬が減っていっているとお聞きするのですが、

 私は出会うたびに、どうしたの?元気が無いね。。と数日言われ続ける・・

 ちょっと関係性で困っている方です。

帰宅して、翌日から何か、性的におかしくなってしまったのです(苦笑)

別にその人がほしいわけでもありませんし、体がそれまで求めていたわけでもありません。

ただただ・・・、おかしくなってしまって・・・

どうにもならなくなりました(苦笑)

それが、6日~2週間ほど続くんですね。

そして、仕事が全くできない状態なっているんです・・・

そして、心が完全に堕ちきるといいますか・・・

溶けたような感覚の中、絶叫(絶境)したところで・・・

闇からの声を聞くようになります。

ありえない快感を教えられました。

彼は、ただあの声(絶叫)に惹かれ、やってきたのだといいます・・

そしてそれ以上(異常)の声色を引き出そうとするのです。

そして、暗闇の穴のようなものにスーと落ちていくような・・・

そういう感覚に入りかけました。

何故かその当時、この世界を牛耳っている各権力や組織、波動などの

情報などもたくさん、降りてきていて(IDEA DL)、

それを確証付ける資料もネット上で届き、

いろいろな意味で、把握している時期でもありました。

それが、まさしく闇ともつながっているんですね。。

なにか、やられた。と思いました。

嵌められたと。

※これは、役割というか軸というか、

 すっぽり丸ごと在る目的のために、ある流れに入れられている状態のことを指しています。

それなら・・・

戻ることもできず、

もう堕ちるしかないのなら・・・

逆に逆手に取ってやろう。

なかなか無い機会だ。

行うとしても同じことはもうないだろう。

なら、この機会を利用しようじゃないか。

※心は般若の面の様相

そう考え、御体(みたい)を残し、死を覚悟の上で、

ご縁在るすべての各天上なる神々へご挨拶参りに出かけました。

ですが、すべての御柱の方々が、降りる(堕ちる)ことを由(よし)としません。

理由は、『戻ってこれないから』

これまで、戻ってきたものはほとんどいないというのです。

また、戻ってこれたとしても、正常ではないと・・

けれど・・・

私としては、防ぐこともできないのです。

このままだと、確実に引きこまれてしまう・・・

どうせ、このまま防げず引きこまれて、巻き込まれたように死んでしまうのなら、

死を覚悟で、為すべきことを為したい。

そして、帰り道も何故かこの時自分は、一筋(道)だけ見つけていました。

それに全てを託して、けれどそれは隠して、

意を決し、すべての御中(御柱)に献りながらも、

どうか無事戻れるよう、また為すべきことを為せますよう、

ご助力をくださいますようお願い申し上げ、それぞれより、護りとなるヒ(または飾り)を頂き、

御体に戻りました。

そして、引きこまれそうになった次の時・・

自分はそのまま、闇に堕ちました。

降りる意識と、堕ちるは違います・・・

そこから、またありもしない快楽を受けることになります・・

それは、苦痛。

精神体であるボデイを引き裂かれるのです。

時には剥ぐように。

時には削ぐように。

時には、切り裂くように。

それらを、愛情を持って・・・行われていく・・・

ただひたすら、あの絶叫(絶境)の声色を聞きたいがために・・・

そして・・・・

その快楽(苦痛)に堕ちきった魂の

美味しいエナジーを得るために。

・・恐怖しました。

あまり知られていませんが、

我々は、肉体だけでできていません。

肉体を機能させるためには、

各種デバイスのような通路とエネルギー、

そして、各エネルギーを守る膜が必要です。

そして、それぞれのエネルギー層には、血と似通ったエネルギーが流れています。

ホメオパシーなどは、これらのエネルギー層にたいして、

植物などのエネルギーなどを利用しながらアクセスすることで、

いろいろな心体症状を治す手法です。

地に堕ちるといっても御体は「ここ」にあるわけで、

精神体(ボディーエネルギー)層に行われました。

けれど・・・・・痛いんです。

なのに・・・・そこに、悦の感覚を与えられ・・・

よくわからない感覚に(苦笑)

その後、今度は相手が変わり、

純粋な苦痛のみを与えられることとなっていきます・・・

ある程度、御体を調え、色々な過程を修めて来た方は、

多くの高次のボディ層とも数珠の連なり用につながっていきますが、

※そのため、人により修め方を間違えた方は、体を壊したり、

  精神的にも修めきれない=統一調えができない、ということになり、 

  解離性のような状態や、統合失調症のようになることがあります。

 精神医学には、今現在このような幽界や神界、御体(ボディ)の成り立ち方などの

 情報とは統一していないことにより、突然、意識が開いた方が多くの事柄を瞬時に受け、

 混乱した際にも、病気として扱われ、認識されないままに・・・

 薬によって心体を害する傾向が現在あります。

 ※知人はこれにより、理解ある指導を受けれず収めきれずに、死に一人至っております。

この時。

肉体としてあるボディ層から高次のボディ層へ、

一つ切り裂いて、血が流れきり、意識が途切れ(一つの死)れば、

精神体を維持するために、高次のボディ層を一つ更につなぎ、

そのボディ層を切り裂く。 という行為が続けられました。

彼は切り裂きながら、魂の中の何かをも探していたようです・・

私自身も、詳しくは掛けませんがそれを探していました。

「源初の音」です。

それを手に入れることができれば、物事の変革が始まります。

ですが、どれほど切り裂いてもそれは見つからず、

私自身は、それは私の中にはなく、

陰と陽。それらが正しい状態で一つとなった時に、生まれ出るものだと思い、

彼に身を委ねていました。

※あえて名は伏せます。

なんど死んだのか・・・・

そう思える時を過ごしました。

時折、これは洗礼か?と思える光景に入りました。

苦痛で何も考えられず、叫ぶこともできない状態に近く、

息も絶え絶えで、きっと・・・死に近い状態で・・

ふと、気づくと自分は川の中にいるのです。

広い大地に木々がいくつか生え、

其処に流れる、人が4~5人ほど入ってはしゃげるような広さの川。

水はとても清く、陽射しも美しく、

其処にいる方は、キリストのような天使のような方。。

わたしはただ・・・水の中に体を委ねており、

ただただ・・・水が流れていく様子を感じています・・・

顔は浮かんでいて、体も深くまで沈まずにいました。

そこにいる、天使のような遣いのようなキリストのような方は、

ひたすら私に向けて、聖句を唱えています。

額に水を落として・・・・

どこかの巡礼の時のような・・・灌頂(かんじょう)?

と思いながら、ただ気持よく横たわっていました。

※それまでがあまりの苦痛だったため・・・とても心地良かったのです。

ですが何か、自分の中で恐怖しました。

今でもこの対処(判断・反応)が、正しかったのかどうかわかりません。

もしかしたら、何度も落ちかけた魂を助けて頂いていたのかもしれません。

※私の魂の由来として帰依する方は、市杵嶋姫命であり河の神でもあるからです。

ですが・・・怖かったのです。

川に至る前・・・

周りは血の海でした・・・

自身と場合により、相手が私に与えようとした血。。

それらでいっぱいでした・・・

自分が、朦朧としすぎて、幻を見ているのでは?

あまりにも苦しくて、別のビジョンを見ているのでは・・?

もしくは、この美しく清らかな方は聖霊などではなく、

あの方(彼)が、なりすました菅田なのでは・・・?

姿と、今打ちたいのに、

出る言葉は、

菅田・・ 守形・・・ 須方・・・ こればかり。

うちたいのにも、統治体 としかでない。。

そうなんですね。

そうだったんですね。

今理解しました。 ありがとうございます。

※誤字や目に留まる言葉、数字などで、日頃メッセージを良く渡されます。

あの時。あまりに怖くて・・・受け入れきりませんでした。

それはただ・・・ 辛かったから。。

川の水も清らかな光も、耳に届く聖句もとても心地よく・・・

安らいでいたというのに・・・・

何もできず、わたしはただ・・その時、横になっていました。

心だけ、受け入れきってはいけない。

そう思っていたのです。

それ(灌頂)は、数度、、、苦痛と死を感じる中で、行われ(体感し)ました。

不思議と肉体を守るためか、

あちらに陥りながらも、一日一食ごはんを食べるだけために、

目が覚めることがありました。

声のない方(守ってくださってる方々)がおっしゃるには、

何度か体を動かさなければ、御体が持たないのだといいます。

重い体を動かし、最低の所要(トイレやご飯)などを行おうとしました。

が・・・

肉体的にも痛くて・・・

途中から、なかなか立ち上がれず・・・

意を決して、動こうとしなくては行けませんでした。

筋肉が裂けるような、開くような痛みが走るのです。

ですが、肉体には傷はありません。

あまりに痛く、動けない時は、

何かの存在が代わりに、うごかしていただくことがありました。

本当に守って頂いていたのだと・・・

今記載して、思います。

ほんとうにありがとうございます。

動き始めると、痛いのは変わらないのですが、

肉体は痛くないので、少し慣れてきて、動きやすくなったのを覚えています。

途中、体を洗うためにお風呂に入ろうとするのですが、

川の情景を何度か受けてから、

水が恐怖するものに一時なりました。

水に触れると、苦痛や苦しみがフィードバックするんです。

シャワーすら浴びるのにすら、最初は、水に触れたのですが、

フィードバックがすぐ起こり、暫く体を避けていました。

ですが良い意味で、意志が強いんですね。

ここで、意志を強く持って越えれば、大丈夫。

そう感じ、また催眠もこの当時から触れていっていたこともあり、

それらを利用して、水に触れれるようになりました。

今では普通にお風呂に入れます。

そんな毎日が2ヶ月続きました。

あちらにいすぎると、こちらに意識を守ってくださっている方の意識により、戻されます。

すると、こちらの間(日常空間)にも、彼のエネルギーが追ってやってきて、

引き連れていこうとします。

どっちがどっちかわからない

そういう状態にまではなりませんでしたが、

ただわかっていることは、

地(闇)の根にまで自分は降りなければならないこと。

そして、理解しなくてはならないこと。

それは、闇を。

苦痛を。

狂気を。

死を。

そして・・・、そこに横たわる『彼』を・・・

それには、屈するわけには行かなかった。

そのためには、喜ばすだけでもだめだった。

一つにならなくては・・・・

与えたいものも与えられない。

得たいものも得られない。

そんな、混濁した意識の中、

よくわからない概念のままに、

ただただ、自分のその時感じていた役割。

それを行い、また自らもそれらの出来事から修養するために、

ひたすら、彼の行いを受け入れていった結果・・・

滅多に入れないであろう、

また受け入れて頂けないであろう

彼の深い奥の間に入れて頂けました。

闇だというのに・・・

その辺り一帯を守るのは、

闇の聖霊だというのに・・・・

其処はあまりにも清らかで・・・ 美しかった・・・・

まるで、川の水を受けながら、灌頂(かんじょう)を受けていたときのように、

清らかで美しい場なのです。

その中央に、彼は一人。

傷つきながら、いました。

彼はただ・・・役割を演じているだけなのです。

自分が引き受けたこと。役割として受けたこと。

それ故に、最後まで受け切ろう。その意のもと・・・

自らを粉にして、、、多くの御霊の傷を受け止め、

代わりにその傷を搾取し、身に集めています。

この文頭の始まりに、大汝牟遅之尊様を記載しました。

彼は、この方にも通じます。

大汝牟遅之尊様も、その大きな御霊に小さな御霊の行く末をすべて総持(そうじ)、

道を守りながら、時より縁を結びながら、物事を行い、

全てが相似(総持)、須(すべ)らく、運ぶよう・・・身を粉にして働いて頂いております。

多くの御名とともに。

そして、祓戸の名のもとに、それらを根の国に送り・・・

流離い(さすらい)・・・擦らひ(摩すらひ)て・・・

払い清める、根の国の王なのです。

共時点としては、梟(ふくろう)を印と用いることも在るといえば・・

伝わるところには伝わるでしょうか。

ただ、同一でもあり、違うものでもあり、

その2つの視野を持って見れなければ、

正しい美姿は観ることはできません。

須方は違えど、同じなのです。 (※ ←この言葉は、別の部分にと書き留めた言葉が当てはめられました)

そんな、数ヶ月を過ごしながら・・・

地の根に住まう、あの方の美姿を拝見し・・・

彼が時折、私を痛めつけながらも、仕事(役割)として、

場を離れ、身を引き裂いて帰ってくる姿を何度も拝見し・・

※人が戦をしていて、その苦を代わりに引き受けているというのです。

 それで助かる御霊は助かり、狂う御霊は見守るしかないと・・・

私は、闇の性質を知りました。

世の中、不要なものは存在しません。

どんなものでも、今現状において、必要だからあり、混在しているのです。

清く住んだところには、魚は住めません。

其処は生物が住む場所ではないからです。

人の心が幼い時。

闇は恐怖するものでしょう。

一人で暗闇の中いるのは、怖いものです。

ですが大人になるとどうでしょう?

暗闇も、普通の暗闇だと受け入れきれます。

※自然界の場合は、危険という認識も働くかと思いますが(汗)

自分が歪んだり曲がったり、間違った概念を抱いた時には、

闇のエネルギーは、誘惑し怖い言葉を届け、命すらも脅かす存在です。

なぜなら、それが役割の一つでもあるからです。

けれど実際は・・・

生命を護るためにあります。

聖書であるような、闇の勢力が地を多い、場を狂わす時。。

それは、その状態に至るまでに(の)、人々の心が乱れ(た)、

その乱れ故に、闇が違った傾向で触発され、

乱された状態に常にならないと起こりえません。

だからこそ、

口を酸っぱくして、遠い昔より、心の掃除を伝えられてきているのです。

生命は、闇から生まれ、光(エネルギー)を得、両方合わせ持って初めて生命と成し、

最後は、光は天に、物質的御体(エネルギー)は、闇に帰っていくのです。

それが、魂魄です。

この地の降りた時。

私は、ただ天と地をひとつにすること。

それだけの概念のみにおいて、

御体(精神的ボディ体)を遣い、

ただただ・・・理解しよう・・・受け入れよう・・・

そう動いていました。

ですが、すでによく考えて見れば、一つになっているのに、

それを分けているのが、我々なだけような・・・気がします。

2ヶ月間。

闇に堕ちるまでの間も入れれば、

2ヶ月半。 これらの環境にいたことになりますが、

最後は、スサノオ様、そして宇迦之御魂大神の太いお力添え、

並びに武御雷之大神様や、白山菊理姫様。

長野・・諏訪の方々にもご助力頂きました。

また、戸がの方には、大きな護り刀(エネルギー)を頂き、

誠にありがとうございました。

他にも各方々の諸々の各種護り、本当に有難うございます。

 

 

そして、自身が堕ちていた際、

2名のおふた方のご尽力。

その御蔭で、今ここにあります。

ほんとうにありがとうございます。

帰ろうとした時。

宇迦之御魂様に頂いた言霊は、ただひとつ。

「道は一つしかない」

それを、スサノオの様の音に沿って頂き、

いざ帰ろうとした時。

どれだけ闇を下っても下っても、

やっと出口についたココを開ければ、もう大丈夫。

と思って開けると・・・

そこは天でした。

そして、天なのに・・・

自身が思っている帰り道とは違う場所でした。

それを何度も繰り返したのを覚えています。

無事、意識がしかと戻り、

各方々にも感謝の音(思い)を伝え、

いざ、日常生活に戻ると・・・

そこでは、同じ期間に違う形で、

同じような修羅場を体験しているスピリストに出会います。

彼は指を失いかけ、そして、意識がいろいろな場所を突然さまよい、

話しているのだけども、日本語として通じない、

意味の分からない言葉を話すような現象にも入り、

ひたすら休まねばならない状況に入っていました。

※説明がかなり欠けています。ココではこれで失礼します。

そして、そこで別々の体験をしながらも受けいてたメッセージは、

ほぼ同一。そしてこれからの進み方を互いに、互いの状態・内容から認識。

そしてお互いに、それらの流れにより、

これまで順調に歩んできた「道」を、変えられることになるのです。

そこから、別途新しく出会う、別のご縁が始まっていきます。

ある物事の成就のために。

これらの出来事や流れは、私達の普段の意志には関係ありません。

ですが、生まれてくる前に約束してきていることでもあり、

また、「その意(天の意)に沿い、生きる。」 と進上(神情・心情・心澄)していることでもあり、

今。この時において、その場に何故いる?! と 雷を落とされている現状でもあります(苦笑)

※実は私個人は、

 2月に、今いる場を離れ、新しく物事を始めよ。と、

 届いたものを、8月の任期が終わるまで・・・と日々、違和感を感じ続けながらあり続け、

 いざ9月。秋(トキ)が来た際において、物事が始まるときにおいてもなお、

 新たな任期を受けようとしたことにより、

 8月の間に、突然働けないような現状に陥り、

 そして、御霊の不具合(学び不足・修養不足・自己修復力=再生力)を補うための運びが始まりました。

 ※9月移行の任期、その他のお話も、この流れにより、自動的に閉ざされました。

   今まで入っていた団体からも、自動的に新しい期となり退会へ。

   また別途、動こうと考えていた在るプロジェクトに置いても、一時保留となり、

   現在そのプロジェクトは、引き継ぎ者がいないため、自分がこの状態に入ってから、

   動いておりません。 

   (このプロジェクトも、頂いている流れとして、神事の一部なのです。

    そして次は自分が率なければ、次に繋がらないと感じていた年でもありました。)

   (止まらないように、お上に相談しておかなくては行けないかな?^^; ※止め続け2年弱・・・)

これが、この時。

周りには鬱と言われた際にあった、スピリチュアルな現象です。

周りにはここまで詳細には伝えていません。

と言うかほとんど伝えていません(汗)

伝えても、意味不明ですし(汗)

それこそ、大丈夫?な世界ですし(苦笑)

それも認識した上で、

こちらには自身にあったこととして、記載致します。

鬱と言われて、症状を見てみたら、

たしかにピッタリ、この時にあったことも嵌るという(笑)

自分の中では違和感ありまくりでしたが、

ご神仏様の助言もいただき、その旨のまま、進ませていただいたのが今。

そして今・・・

実際に自身に心の傷があり、

それらの苦の根拠解除(根っこ癒やし)のための一旦の始まりが、

この病名を受入た流れに入ることでもあり、

新たな自身を知る、流れでもあったのだと感じています。

事実、あの当時から比べるとかなり、楽になっています。

本来の意味で、輝ける時。。

本質的な行動も起こせれるのでしょう・・・

そこには、

曲がりなく坐った勾玉と、

真っ直ぐに透った剣心、

そして、大円鏡智を示せるような真賀日を頂きながら。

真賀日の中には、曲魂なども含んだ、紛ひ(混在)したすべての意識のある状態を示します。

決して、喜び事だけ全てを招じている存在でもなく、扱いを間違えれば、荒々しい寿を授けます。

これをわかりやすく示しているのが、一霊四魂。ですよね。

禍津日は祓戸神の一柱である瀬織津比売神と同神でもありますから、

通じる方には通じるかと存じます。

※私は、この記事の内容以前に、別の時節に、

  身に受ける事象・事柄と、其処で頂いたメッセージより、このこと(同神)を頂き、知りました。

  絶壁で、大きく流れる川の背に、降り立つ心境で物事と当たることで、

  すべてを正思(しょじ)、正していけると。。

  けれど、この立ち位置に常にいることが、まだ修め切れていません・・・

  故に、修養段階として、数々の事象が持ち上がっている状態でもあります。

と、スピリチュアル目線で見ると、今ある事柄はこう伝えれるのですが(笑)

多種多様の見方を用いて見なければ、物事の真実は測れません。

そして、それぞれの立ち位置・在り方・目線でみた上で、行動を起こせれるようにならねば・・・

今後の成就されたいであろう結びも、形とは全くそぐわないものになってしまうようです。

・・・・こちらにアイディンティティを持ちすぎないように気をつけなくては。

※よくそれで、ずれている人を見るので(私もずれているのかな?)

以上、この時にあったスピリチュアルな出来事でした。