鬱という病

数年前に、鬱病と診断された自分。

それは、思うように仕事が手につかず、捗らないことが始まりでした。

いざ、目の前にある作業をやろうとしても、何か進まないのです。

デザインなどで、思うようにアイディアが出てこなく、詰まるということは多々あること。

そう考えていましたが、だんだん億劫になり、触れることも辛くなり、

やらなければ、と思えば思うほど、触れることすらも儘ならない。。

そんな現状でした。

ですが、眠ることは出来るんですね。

不眠というわけではありません。

元々、リズムが崩れてはいますが(苦笑)

眠れなくても不安にもならず、死ぬ前に人は自然と寝ることを

体験的にも知っているため、全く悩んだこともありません。

病院で診察に行った時、

最初、鬱病ですと診断されたのにもかかわらず、

二回目の診察時には、お医者様より診察をまちがえたかな?

という言葉を頂いたほどです(苦笑)

そして、二回目から、来る回数も減らすように支持が出・・・

ちょっとまて。じゃ、いったい最初のは? という状態でした。

ですが、仕事が手につかないのは事実で・・・

でも、あるところまで落ちると、復帰するんですね。

落ちきると上がってこれる。これもわかっていて・・・

そして、もうやるしかない!!!

と気合を入れて、どんどん進めることができるんです。

・・・はい、波がありすぎます・・・・

気分で仕事をしているつもりもありません。

当初、診断された際には、「ねば」ばかりでもありました。

まず、そこからの改善を自身はしていきました。

それでも・・・また、立ち止まるんですね。

以前、私は社長のところでも書きましたが、

自身で事業を立ち上げたのにもかかわらず、

自分が本当にやりたい事業を何一つ、立ちあげられないままに歩んできました。

そして、振り返ってみれば、

企業理念と動き方が全くズレていることにも気づきました。

そして、理念に沿う案件やプロジェクトなどは、見事に昇華できているのです。

この大きな結果の違いは、自分にとっては目からウロコのようでした。

「本当は何がしたいのか?」

この問いが、今も頭をよぎります。

ですが、生活をしていくためには、やりたいことをすることができない。

そういって、これまで歩いてきました。

その結果、生活苦状態に陥り、病という診断に。

そりゃそうですよね。

本当はそれがしたかったんじゃないんだもの。

それを、無理やり鞭入れて、必死に心に規制掛けて、

こうしなきゃいけない!と絡めとって、歩いているんだもの。

人には大きく分けて、二種類いる気がしています。

○自分の思った通りにしか生きれない人

○社会の枠組みに入って生きれる人

私は前者です。

枠組みに入って、結果を出すこともしていますが(小さいですが)、

そのラインでは落ち着かないんですね。 一生そのラインにいるのかと思うと嫌なんです。

ただの我侭かもしれない。

ですが、星でも独立の星なんだそう。

では、独り立ちしてどうだったのか?といえば、

そちらのほうが、苦の連続で。

だからこそ、人生修行の場なんだと・・・

いつしかの船井幸雄さんの本からの言葉の意味も理解し、

歩いてきました。

やはり、企業なり枠組みの中に居ることは、

大きな安心感があるのは間違いありません。

自身で起業し、会社を持つということは、

大きな不安と責任を常に持つということにもあります。

それに打ち勝ち、熱い将来像ービジョンーを見つめ続けれるからこそ、

その企業は存続ができていけるのです。

自分は、仕事をしなければならないにもかかわらず、

思うように進めなくなった結果、多くの信用を失ってきました。

その中でも、私という個人を知っている方は、今でも励ましてくださいます。

少しでも負担にならないスタンスで、間に立ち、指南をくださいます。

ですが・・・

単純に、今おもうのは、

1.理念に沿う 活動・行動 に準じてこなかったこと。

2.1を実現できる、ビジネスモデルを構築できてないなかったこと。

3.資金計画や事業計画がおろそかで、しっかりと成り立っていないこと。

  ※自転車操業でまるで、現状維持のようなスタイルでした。

4.ほんとうにやりたい事業プランに、何一つ着手できなかったこと

この4点に尽きるように思っています。

そして、独立当初から相談できる人がいなかったことも大きいかな。。

アドバイスを求めれなかった。。

これができれば、そしてそれを実行していれば、、

かなり変わったのかもしれません。

生きるためには、生活をしなくてはならない。

最初は、何でも触れていかなくては実りにはならない時期もある。

そう考え、何でも触れている時期もありましたが、

それでは、結果が思うようにも出ない。

では、何かに特化しようと考え動く。

けれど、来る案件はいろいろなもので・・・

それに応対しているうちに、特化ができないまま、ゆるゆると流され・・・

・・・意志も弱いですね。

途中より、色々刺激をいただける団体に触れ、多くのことを学ばせて頂きながら、

自分としてはかなり大きな結果を出したと思える、いくつかのプロジェクトにも

参加させて頂いてきました。

ですが、自分事となると踏みとどまるのです。

ここで、自分に違和感を感じました。

そして、この気付きから・・子供時代へと心は邂逅していきます。

子供というよりも、幼子かな。

この気付きに触れれたのは、この病と診断されたからこそ。

そして、今その当時の傷はかなり快方に向かっています。

ありがたい。。

心の根っこの根っこ。

あなたは、何を抱えていますか?

鬱病とは、自分の心の考え方、捉え方、そして、奥底で抱えているもの。

現状の問題。それらによって成り立っているようです。

疲れてしまっているのに、鞭を打って・・、やりきって・・

世間では良いように言われても、それが苦しくてたまらない。

そんな方もいらっしゃるでしょう。

病かどうかはともかく。

もし、この文面で何か響く箇所があれば、そこを点検してみてください。

それが、今後どこかで役に立つはずです。

ということで、自分は医者がどっちかわからない反応を返したような状態から

始まりましたが、その御蔭でいろいろな側面に気づきを頂いている最中です。

このブログが完成する頃には、

健全な或るべき姿に戻り、歩いていることでしょう。

自分の本質が花開く道へ。

この病をそんなステップの一端として捉え、今を進んでいきます。