ずっと納得の行かなかった診断。その原因が判明。

お久しぶりです。最近、こちらはアップ数が減ってきていますが、

日々の起きる時間と習慣を変えたことで、日々元気に動いております。

そんな中、昨日、病院で鬱と診断されて納得がいかなかったものが、

スーとはっきりと納得できる原因に出会いました。

・・そもそもの診断から間違ってた?

 

 

それは、「複雑性PTSD(C-PTSD)」というもの。

以前、鬱という病気という記事で、鬱と診断されたけれども、

不眠症でもなく、不安で眠れないこともなく、

落ちきると立ち上がることができ、やるぞ!と動けれるが、

自分事となると立ち止まってしまう。

そう記載し、子供時代へ幼子時代の心の根っこへと邂逅していったことを

書いているのですが、それらの理由や感じ方・反応の仕方、

日頃の心理面など、すべてを言い当てられたかのように感じるものが、

複雑性PTSD(C-PTSD)という項目でした。

あまりに当てはまるので、

大泣きをしてしまったのですが、

概要がわからずとも、

自分でここまで、導かれたように出会った潜在意識を自ら解いていける手法をも

用いながら、これまでかなり治してきたのだと、

その項目を読んで、ほんとうに深く思いました。

複雑性PTSD(C-PTSD)とは、

単発的に衝撃的なことが起こって、起こるPTSDとは違い、

長い期間に受け続けていた虐待的な(受け入れがたい)日常によりおこる、

心理的障害のことです。

まだ、鬱と診断されてからの項目カテゴリーに、

その後の子供の時代へ邂逅していたったことや、幼少期時代のことなど

記載は終えていませんが、まさしく当てはまります。

複雑性PTSDについて記載している在るブログで、

下記のように説明されていますが、まさにこの感覚なのです。

小さい赤ちゃんがある日突然何者かに連れ去られ、暗い海の真ん中に落とされてしまったとしたら。

誰にも気付かれず、助けようとする者もいない状態で。

しかもその赤ちゃんが、その苦しみの中で「こうなったのは自分が悪い子だからなんだ」と

自分自身を責め続けていたとしたら。

そして今も、さまよい続けていたとしたら。

ありえないような事ですが、それが現実として起こっていて、

家族はまさにそれを体験しているということではないか

参照:交流日記

この複雑性PTSDの症状の一つに「反応性うつ病」があるんですね。

これといった理由もないのに、気持が落ち込み、おっくう感にとらわれる

「内因性うつ病」に対し、原因がはっきりしているんです。

その分、原因に対しての対処をしっかりしないと、

なかなか治りにくく、健全と言えるまでには長く時間がかかるのだそう。

おかげさまで私は、かなり幼いころに死にたいと考えた時に、

自分と約束した「死を選ばない」というただ一つの強い意志があり、

何があろうと、自傷やそういった行為には至らないのですが、

※何が何であろうとどんな現場であろうと生き抜いてやる!という意志があります。

※時には間違いだと思われるやり方だとしても、死を選ぶくらいならそちらを選ぼうとすら思います。

  ・・・・・生に貪欲?^^; でも、ただ、自分との約束の為だけ・・・・・

ある状態になると、かならず同じうつ状態になるのです。

それまでは、なんら傾向すら掴めません。

あるとしたら、自らが苦しくなることを選びがちだということでしょうか。

※これも追々自ら気付き、自身で潜在意識を解いていっている最中です。

この状態も、ピッタリと当てはまるんですね。

正直、驚きました。

しかも、この症状じゃないか?と お言葉をもらったのは、お医者様ではありません(苦笑)

というよりも、今、お医者様でも複雑性PTSDは、なかなか診断してもそう捉える方が少なく、

症例も少ない(認められていない?)ため、うつ病や境界性パーソナリティ、

ADHDなどとご認識されやすいものなのだそうです。

※事実、他の方(医者ではないのですが)から境界性ではないか?ともいわれていた自分です(苦笑)

複雑性PTSD.

初めて知りましたが、おすすめだという本を知り、その概要を読むだけで、

自分の中で、まちがいない感覚とともに精神的にもかなり来るのですが(汗)、

ようやく納得できる病名と症例内容に出会ったことで、安心したのか?

かなり楽になりました。

在る方いわく、表情から変わっているそう~(汗)

なにか落ち着いた、しっかりした表情なのだそうです。

具体的な道がみえたからでしょうか。

ということで、このブログでは、

鬱の人でも簡単に出来る方法や、気が向いた時にちょっとやって見る程度で、

変わっていく内容を個人的に実践しながらまとめて行っていますが、

鬱と診断されてからの流れも、一気にまとめていきたいと思います。

それにしても・・・

回復方法としての内容を、私はわからないなりに手探りで探して、

鬱と診断されるよりも前から、行ってきたんだなと実感しました。

それぐらい根深かったんだなとも思います。

手探りで来たところに、ようやく具体的な方法が届いた。

きっと、かなり重症の頃なら一人では難しい内容も、

今の自分なら、越えていけるからこそ来たのだろうと感じています。

※でも、一番の課題は周りに助けてもらってもいいと受け入れることなのですが。

※それも、無意識ながら・・・トライしてきたようにも感じています(完全には受け入れきれないんですが)

本当に、自身の症状が合うものに出会えてよかった。。

通常は、10年以上たってもそう診断されることも稀な症例故に、

私個人としては、奇跡にも近い出来事です。

これも、日々唱えている「魔法の言葉」のおかげかな?(笑)

同じ症例に困っている方などが、

このブログを読んで、少しでも楽に、生きやすくなりますように、

今後も少しずつ、まとめていきます。

そして、自身も健全に。周りも健全に至れますように。